ヤマザキマリさん
インタビュー

私たちは
ホリゾンタル
クリーチャー。

ヤマザキマリさんへの連載インタビューは佳境です。前回に続いて古代ローマ時代の睡眠について話しているうちに、それが現代にも通じているのではないか、という話になり・・・。

目次

第1回 猫も人間も、寝るのがデフォルト
– 信頼関係がある生き物は一緒に寝る
– 水木しげるさんと手塚治虫さんとヤマザキさんの寝方
– 眠れる国、眠れない国

第2回 古代ローマ時代の夢と現実
– 飛行機で寝れますか?
– 現実と夢が分かれていない世界を漫画に描く

第3回 寝ることを大事にする人、しない人
– キリスト教の眠り、古代ローマ人の眠り
– 「寝てばっかりじゃダメ」な社会への反抗
– 人間は進化しない

第4回 もっとどんどん横になろうぜ!
– ヒトはホリゾンタルクリーチャー
– 立っているものは不自然、寝ているのが自然
– 寝てるのがとにかく正しい

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第3回
寝ることを大事にする人、しない人

キリスト教の眠り、古代ローマ人の眠り

- キリスト教的な、または現代の生産性重視の資本主義的な見解からしてみれば、寝てるっていうのはそんなにいいことじゃないとされます。なぜなら、行動できないから、そこで見るものは夢だから、ということになるのですが、古代ローマの時代では、もっと寝ることと現実が緩やかに地続きになっていたのではないでしょうか。

ヤマザキ 古代ローマの人たちは、いつも本当のことを知りたいとは決して思っていなかったと思うのです。今みたいな了見に制約がある人間社会では考えられない事かもしれませんが、人間なんて生き物は知恵もあるから嘘も方便で、それを活かすために生きているような生き物だという認識が定着している。プリニウスなんかは人間のそういう特性を旺盛に活用し、かつ楽しんで観察していた人と言えるでしょう。

今のイタリア人も、人の言う事、全てを信じるべきだとは思っていない。「これはデタラメの可能性があるなあ」って思いながら人の話を聞いているのが当たり前なところがあります。

古代ローマや、今のイタリアみたいな国では人を信じて裏切られた、っていう展開になった場合、「信じたお前がいけないよ」ってまずなりますね。巧妙に騙眩かす、ずるい、というのはむしろ美徳とされています。

そういう意味でプリニウスは記述で人を手玉にとるエンターテイナーと言えるでしょう。本人はそういうつもりはなかったんだろうけど、自分を楽しませ、他の人も同時に楽しませていたわけだから。だから、人は正直でなければいけない! 全てにはしっかりとした裏付けがなければいけない! という確信に根付いて生きている人は、プリニウスの博物誌は読んじゃいけない(笑)

- 同時代人の中でもそれは際立っていますか?

ヤマザキ 例えばセネカ* とか、当時の哲学者や思想家は基本的に皆真面目です。道徳的で、書いてることは確かにその通りなんですけど、ユーモラスさや嘘くささが多少あったほうが、実は説得力が増す場合もありますからね。一緒にやってるとり・みきさんは「セネカが柳田國男ならプリニウスは南方熊楠だよね」と、とてもいい例えをあげていました。


『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社刊) 1巻より ネロの罵倒を受けるセネカ

- 漫画にセネカが出て来てとても嬉しかったんです。こんな人だったのかと。

ヤマザキ これからもっと出しますよ。でも、セネカは実は道徳的で正しい事を説く哲学者だと思われているけど、実はお金に貪欲な側面も持っていましたし、いろいろと腹黒かった。なんせ副業で高利貸しとかしていたわけですからね。しかも、銀の食器じゃないとワインは美味しく飲めない、とか贅沢三昧。

セネカは伝えられているよりも、もっと感情的な人だったんじゃないかと思います。プリニウスはそれほど贅沢はしていなかったと思うし、本当か噓かわからないことを力説しつつ、人の反応を見ながら、しれっとしているような人だったと想像しています。傍観者というか、観察者というか。セネカはそういうタイプではなかったと思います。

- ローマには寝床が何種類もある、それ一つとっても覚醒と睡眠が地続きになっている社会だと思います。

ヤマザキ 漫画で沢山の人が集まってご飯を食べているようなシーンは描くのがとても面倒臭い(笑)。食事用のベッドを描く回数が多くて、私もとりさんも大変なんですよ。

でも、寝ている人を描くと気持ちがいいですね。猫がお腹に乗っているこのコマですが、猫がお腹の湯たんぽになってくれるあの暖かくて安心感に満ちた感覚を思い出しながら描きました。


『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社刊) 1巻より ヤマザキさんお気に入りの一コマ

プリニウスには猫目線のみで展開されるエピソードもあるのですが、プリニウスの秘書が書き物をしている上で寝そべったりするシーンは、猫を飼っている読者なら皆「あるある!」って反応してくれるはずです。

猫は主が集中しているものの視点に割って入り込んで来て、しかもそこでどーんと寝そべる。「さあ、もうそんなつまらんことは止めて、あなたもこんなふうに寝そべるか私を撫でるかしなよ」と言わんばかりに。

猫っていう生き物はつくづく寝る心地の良さを示唆する生き物だと思います。だから寝ている猫を描いている時は気持ちが落ち着きます。


『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社刊)3巻より パピルスの書き物を邪魔する猫

- 当時の猫も今と同じように、飼い猫が多かったのですか。

ヤマザキ 当時猫はそんなに当たり前の動物じゃなかったので、今みたいにどこにでもいる動物というわけでもありませんでした。でも、モザイク画なんかにもなって残っているくらいですから、大事にされてはいたようです。猫は当時の人にとってもどこか哲学的な生き物だったんじゃないですかね、勤勉さをあざ笑うような態度を取るところとか。

「寝てばっかりじゃダメ」な社会への反抗

- ローマの政治を知る人たち、もっと頑健な、帝国の戦い、威信をかけて生きている人たちにとって、そうした「猫の哲学」は退けたくなるような考えだったんでしょうか。

ヤマザキ 勿論寝そべってばっかりとか、お風呂ばっかり入ってるんじゃダメ人間になるという考え方が無かったわけではありません。悦楽や偏った嗜好ばかりに走っているようなバランスの悪い人間は良くないとされていましたからね。何かに偏る人、つまり、今で言うオタクというものが認められない社会だったんです。

私たちは今現在、あらゆる分野でオタクのパワーが活かされた社会に生きてますけど、これが古代ローマ時代だったら官僚達は悲嘆に暮れていたでしょう。

そもそも皇帝のネロ*やハドリアヌス*が元老院に嫌われていた理由は、彼らの嗜好がギリシア文化に傾き過ぎていたからなんです。彼らは正真正銘のギリシャオタクでした。だから官僚からは非難されていたわけです。

- 当時の彫刻もバランスを考えて作られていますね。

ヤマザキ ほどほどに体育会系で、教養もあって、政治力もあって、いろんな意味で均等にバランスが良い人が立派だとされていた。だから、寝てばかりも当然ダメ人間だし、風呂で寛いでばかりもダメ。その辺はシビアでストイックです。

とにかく人として求められるクオリティが高かった。今のアメリカに例えれば、スポーツも万能で大学はハーバード、みたいな輩たちが良しとされるような感じに近いでしょう。

けれども、そういう完璧人間ばかりを求める傾向にどこか逆らった考え方を持った人たちも中にはいたわけです。プリニウスもそういう中の1人だったと思います。

私がハドリアヌス やネロ をむしろ人間的だと思うのは、やはり当時の社会が定める優等生の枠にあえて嵌ろうとする姿勢が見えないからです。人間らしさを慮れば、基本的にはバランスが悪くなってあたりまえ。眠かったら寝るしかないや、とか、そういうマイペースさを維持できている人の方が人間という生き方を全うしていると思います。

- 古代ローマとアメリカの求めるエリートのかたちは似ていますか。

ヤマザキ 実際アメリカで暮らしてみて、大国であるためにはどうしたらいいかっていう姿勢がシンクロしているなと感じることは頻繁にありました。

人間が人間たる誇りを持てるのは、社会に認められたエリートのみ、という信念というのか。それが叶えられないものは社会には必要ない、みたいな割り切り感も半端無いですからね。

アメリカの会社に勤めていてイタリア人のように昼寝なんかしていると解雇ですよ。「いや、イタリア育ちなんで昼食後は寝るのが当たり前なんです」って言っても通用しません、じゃあ明日からもうここには来なくていいよ、となる。

- ネロがプリニウスを必要としている描写もあります。

ヤマザキ あえてそういう人格に仕立てました。元老院よりもプリニウスに「自分が本質的に人間に求めている姿」が見えているのです。彼は皇帝であるより芸術家でありたかった人なわけですが、それはおそらくローマ帝国の中枢の枠の中で芽生えた意識でしょう。子供の時は田舎で自由奔放に育ったので、箍(たが)にはめられるのは窮屈だったはず。


『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社刊)2巻より チェトラという楽器を愛でるネロ

人間は進化しない

- 現代とシンクロします。

ヤマザキ 時代が進んできてるから人間たちの生き方も進化した、洗練されてきた、あるいは未来的になってきたかというと、全然そうとは言い切れない。ニュースでいろんな事件や事象をみていると、唖然となるようなプリミティブな出来事が21世紀の今日でも普通に起きている。いい年をした大人が噓を言い合ったり、責任を擦り付け合ったりしている。発言や表現に規制が掛けられたり、常にどこがしかで紛争が繰り返されている。テクノロジーは進化しても、人間のメンタリティはそれにくらべると全く進化しているように思えません。

古代ローマの千年の歴史では繁栄と衰退が一つのセットになっています。ローマ時代が終焉し、暗黒と称される中世時代を経てルネサンスという人間の力や知性を謳歌する時代が訪れた。そしてそれがまた衰退し、また繁栄し、その繰り返し。歴史を振り返ると人間のメンタリティや知性には限界点というのがあるのかな、と思ってしまうわけです。

もしかしたら今の我々の知性のピークっていうのは1970年代の初頭くらいだったのかなぁ、って思うことがあります。アメリカが自分たちの社会を俯瞰で見てそれを映画などの作品に表現できていた、表現することが許されていた時代ですね。人々は物事を考えることを怠らず、客観的で、普通に成熟していた。トランプが大統領として選出されてしまうような現代は、あの時代に比べたら、かつての暗黒の中世時代に差し掛かってるようにしか感じられません。


『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社刊) 5巻より あの大統領に似ている?

- 揺り戻しがありつつ、少しずつ進んでいるという考え方もあるし、もしかしたら同じ所に踏みとどまっているんじゃないかという考え方もあります。

ヤマザキ 古代ローマ時代にもギリシャの発明家が蒸気で動くおもちゃを発明したりして、実はあと一歩いけば産業革命というところまで文明は進化していました。でも、それは技術力に向けられた知性であって、哲学や倫理とは別なものです。

けれど、どんな生き物も、どんな環境であろうと自然適応してそこで子孫を残せるように、自らを変化させていきます。だから人間の精神性も、もしかしたら少しずつ見えないくらいの速度で変化しているのかもしれない。でもそれは2000年くらいの時の流れではわからないのかもしれません。50万年後なら具体的な変化が起きているかもしれませんけど。

- スティーブ・ジョブズの伝記漫画も書かれています。ジョブズも現代に合わなかった人の典型です。

ヤマザキ 現代に合わなかったというより、とにかくマイペースだったのだと思います。あの人はひとつの組織に帰属することを拒む勇気と反骨主義精神があり、孤独に対する免疫力と耐久力もある人でした。プリニウスもそう。一人ぼっちでいることに抵抗や余計な衒いのない人たちが、やっぱり最終的には強いなと思います。

社会に対するバッシングに負けて、長いものに巻かれていくことで自分を守るのが通常の人間というものです。でも、不特定多数のものすごい圧力を目の前にして一人で違うことをやることが平気というのは、只者じゃないというよりも、孤独の免疫力の強さだと思うんです。彼らは自分を誰よりも信用しているわけです。「俺、よし!」みたいな。レオナルド・ダ・ヴィンチもそうでした。似てますね、みんな。


『スティーブ・ジョブズ』(講談社 ヤマザキマリ著 ウォルター・アイザックソン原作) 1巻より

- それはきっと時代が理由ではないのでしょうが、何がそうさせるのかは非常に興味あります。

ヤマザキ そうですね。社会からは疎まれるかもしれないけど、自分も孤独の免疫力の強い人間にはなりたいといつも思っています。

(第3回終わり 第4回へ続きます。 第2回はこちら


*セネカ:ルキウス・アンナエウス・セネカ。ローマ帝国時代の政治家、哲学者(ストア派)、詩人。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師だった。現在でも「生の短さについて・他二篇(岩波文庫)」「セネカ悲劇集(京都大学学術出版会)」などでその思想、書物に触れることができる。

*ネロ:ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。第5代ローマ皇帝(54年から68年まで在位)。「暴君」ネロとして知られるが、芸術、詩を愛し、ローマ市の再建は市民にも受け入れられた。一方、元老院などからはその振る舞いが忌避された。

*ハドリアヌス:プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス。第14代ローマ皇帝(117年から138年まで在位)。従来のローマ帝国を拡大させるよりも国境を安定させることに力を注いだ。ギリシャ文明に非常に耽溺し、ローマ皇帝ではじめて顎髭(ギリシア人の象徴)を蓄えた肖像が残る。

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ギリシャ彫刻のように立ったまま寝たい・・・。

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ヤマザキマリ

漫画家。東京都出身。14歳で欧州をひとり旅し、その後17歳でイタリアへ渡ってフィレンツェの国立アカデミア美術学院入学、美術史・油絵を専攻。1997年に漫画家としてデビュー。比較文学を研究するイタリア人研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在はイタリア在住。

2010年、古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』で第3回漫画大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞、世界各国で翻訳出版される。

著書に『ルミとマヤとその周辺』『ジャコモ・フォスカリ』等多数。文筆作品では、『テルマエ戦記』『望遠ニッポン見聞録』『男性論』『国境のない生き方』『偏愛ルネサンス美術論』等こちらも多数。

現在は、『スティーブ・ジョブズ』(講談社:ハツキス)『プリニウス』(とり・みきと共著 新潮社:新潮45)『Gli Artigiani ルネッサンス画家職人伝』(とり・みきと共著 新潮社:芸術新潮)『ヤマザキマリの地球のどこかでハッスル日記』(WEB女性自身・エッセイ)を連載中。平成27年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

ヤマザキマリ公式サイト
ヤマザキマリ公式ブログ Sequere naturam

プリニウス』 
(新潮社 既刊 1〜5巻 共著:とり・みき)
博物学者、艦隊の司令長官、風呂好きの知識人、プリニウス。彼の時代を織り成す皇帝ネロ、ポッパエア、そして市井の人々を描き、当時の社会・文化をありありと浮かび上がらせた連載大河漫画。時代背景だけでなく、当時の世界の在りようを漫画ならではの手法で描き、国内のみならず海外でも出版、大好評を博している。現在も『新潮45』で連載中。
新潮社 Amazon

スティーブ・ジョブズ
 (講談社 既刊 1〜5巻 原作:ウォルター・アイザックソン)
ミリオンセラーとなったアイザックソンの伝記『スティーブ・ジョブズ』を完全漫画化。原作の面白さはもちろん、彼の足跡を辿るだけでなく、その思想にまで踏み込んだヤマザキマリ独自の視線も織り込まれ、相乗効果で面白さ2倍以上! 講談社『ハツキス』で好評連載中
講談社 Amazon

マスラオ礼賛
 (幻冬舎 エッセイ)
ヤマザキマリが偏愛する「男の中の男たち」=益荒男について縦横無尽に書かれている最新エッセイ。そのマスラオは、ハドリアヌス帝、安部公房、十八代目中村勘三郎から、ノッポさん、空海、山下達郎、とり・みき、果てはトムとジェリーのトムにいたるまで、総勢25名!ヤマザキ流「男性論」とも言える作品。
幻冬舎 Amazon

関連書籍
イタリア家族風林火山』 ぶんか社 Amazon
アラビア猫のゴルム』 講談社 Amazon
世界の果てでも漫画描き 2 エジプト・シリア編』 集英社クリエイティブ Amazon

更新日:2017年4月25日
書いた人:小森岳史
撮影:武藤奈緒美

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