soro-logo

この連載が掲載されているホームページの「世界睡眠会議」。その協力団体としてクレジットされているのが、「NPO法人睡眠文化研究会」。睡眠を「文化」として捉えて研究しているマジメな組織である。

筆者はこの連載前から勝手に入眠調査をやっていたのだが、先んじて似たようなことを、しかもはるかにガチにやっていた人たちがいたことを知って本当に驚いた。さっそく本を読んでみて(『睡眠文化を学ぶ人のために』。名著です)、特に重田先生の「睡眠の多様性を文化として捉える」という考え方にとても共感を覚えた。「眠りのかたちは一様ではないはず」と思いはじめていた筆者にとって、まさに我が意を得たり。理論的な後ろ盾を得た気分になったのだ。

ここで、筆者からのオーダーにより、重田先生から入眠調査について伺う機会を得た。睡眠を文化として捉えるとは一体どういうことか? 不肖の弟子による公開個人授業の趣きです。聞き手の力量不足には目をつぶってもらうとして、重田先生のチャーミングな語り口や人の営みへの優しい眼差しが伝われば幸いです。

入眠調査室室長:古川 耕

renaissance01-line

入眠調査 FILE:09
睡眠を文化で
考えている人
調査対象:重田眞義さん



NPO法人睡眠文化研究会 理事
 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究 研究科 教授
。1956年京都生まれ。博士(農学)。主な論文に「エチオピア起源の作物エンセーテの多様性を守る人々の営み」(『遺伝』58巻5号)、「嗜好品とともにすぎゆくエチオピア高地の1日」(『嗜好品の文化人類学』講談社)、編著に『アフリカ農業の諸問題』(京都大学学術出版会)など。関連書籍『睡眠文化を学ぶ人のために』(高田公理、重田眞義、堀忠男編 世界思想社 2008年)

睡眠もまた「行動」である

古川 睡眠文化って、どういうことをしている学問なんでしょうか。

重田 どういうことをしているかと言うと……うーん……。まず前提としては、「睡眠を行動と捉える」ということ。これが最初の「1」ですよね。「睡眠が行動」っていう点で、そこで引っかかる人はもうダメなんだけど。でも、まずは「睡眠は行動」というコンセプトを認める。そうすると、歩くとか走るとか、ある意味「考える」ということも行動と言えるんですけども、睡眠も同じように行動であると認めた瞬間、行動なんだからそれをコントロールするさまざまな要素が周りにあるということに気がつくわけです。「寝ててなにもしてへん、死んだみたいなもんや」と思っている段階では、そういう発想は生まれないんだけど。だから睡眠を行動として捉えたことによって、その周囲の要素、つまりは文化的な要素。後天的に学習によって身につけたり、人から人へ伝播していくような、そういう文化的要素と関係がある、相互に影響を及ぼしあっているという発想が生まれるわけですよ。

古川 睡眠を行動として捉える。ということは、その周りには必ず文化的な要素が発生している。それは「社会的な」と言ってもいいのかもしれないですけども。

重田 睡眠文化論って英語に直しにくいんですよ。「Studies on Sleep, Culture & Society」って言わないと何をやっているのか伝わらない。「Sleep Culture」って直訳は、英語的には「なにそれ?」ってなるから。

古川 そもそもSleepとCultureが結びつかないものだから、ということでしょうかね。睡眠を文化として、行動として捉えるっていうのはあまり普通の人はないですよね。でも、睡眠を文化として捉えたとき、改めて出会った発見というか、睡眠文化研究の中から浮かび上がってきたことというのはあるんでしょうか。

重田 これがいちばん難しい質問というか、辛い質問ですね。でもまあ、要は「科学の普遍論から脱出できる」といえるかな。私たちは普通、「自然」というものと「文化」というものを二項対立的に考えてきたんですね。これは日本由来の考え方じゃなくて、どちらかと言うと西洋の中で育まれてきた思想なんです。西洋近代の合理主義とか、あるいはアンソロポセントリズム(anthropocentrism)という人間中心主義と呼ばれるものの中でどんどん強化されてきたんですね。人間が自然をコントロールできるという、今だったらずいぶん驕り高ぶった考えって言われるかもしれない。

古川 はい。

重田 あるいは、「自然を前にして人間は無為である」という諦めのような、それだってもちろん二項対立的な考え方から生まれる。いずれにせよ、この「自然」と「文化」の二元論を背景にした科学的な思想の中で、睡眠というのはあくまで「自然」側のもの──それはつまり、眠りとは本能であり、先天的なものであり、遺伝的に決定されている生物学的な現象だ──という理解が基本としてあったわけです。さっきの「自然」と「文化」の二項対立で言うと、眠りは「自然」なもので、それに対して「文化」は対立しているもの、あるいは関係ないものっていうね。なぜかというと、文化とは後天的なもので、人が学習することによって伝えていくわけですよね。

古川 ええ。

重田 普通、そのふたつは切り離して考えられている。だから睡眠の研究というのは自然科学としての研究、つまり医学、生理学、生物学、そのあたりを中心にやってきた。その意味でいうと、睡眠文化って、要するにミスマッチなんですよ。「睡眠」と「文化」は、まるで水と油みたいな感じでね

「自然」と「文化」はお互いに浸透し合っている

重田 だけど、それとは別に、「自然」と「文化」は相互に影響を及ぼしあっているという考え方もあるんです。しかもそれは独立したAとBがケンカしたり仲良くしたりっていうことじゃなくてね。「浸透膜」ってご存知ですか?

古川 浸透膜。名前だけは聞いたことがあるような気がしますが。

重田 ふたつの濃度の違う溶液の間に浸透膜があると、濃度の薄い方から濃い方へと水分が染みこんでいって、最終的には両方同じ濃度になるという。そうやって濃度を調整する細胞膜の存在が生物学では知られているんですけどね。それが浸透膜。で、要するに「自然」と「文化」の間にもそういう浸透膜があると考えてみる。この場合だと、「睡眠」と「文化」は浸透膜的に影響を及ぼしあっていると。

古川 はい。

重田 そのうえで成立しているのが人間の行動、あるいは実態であると。今まで光が当たっていなかった「寝ている間の出来事」と、それにつながる「起きている間の出来事」が一体的に、相互浸透的に関係しあっている、と言いますか。「夜と昼との相互浸透」と言い換えてもいいかもしれませんね。大上段に構えて言うと、睡眠文化研究とはそういう見方をする研究ですね。

古川 なるほど。

重田 これ、純粋科学主義に立つ人からは否定される場合もあるんです。というか、どっちかって言うと否定している人のほうが多数派かもしれません。遺伝的に決定されている現象が後天的なことによって影響されるはずがないって。いわゆる「獲得形質は遺伝しない」っていうやつですね。でも今、科学者も遺伝学も考え方が変わってきていて、後天的に身に着けたことがその後の遺伝に影響を及ぼすっていう理論もあるんですよ。だからまあ、こう考えるとあながち荒唐無稽でもないと思いますね。それに、人の睡眠に関してはまだ科学で説明できないことがいっぱいありすぎるので。

古川 うんうん。

睡眠文化研究が言いたいことは「いろいろあってよい」

重田 だからひょっとしたら睡眠を文化として捉えることによって、そういった今までの科学普遍論から脱出できるんじゃないか?っていう、そういう思いが生まれたんですね。で、その中身は何や?っていうと、まあ一言でいうと「多様性」です。

古川 多様性。

重田 多様性を発見したというか。もっと砕けた言い方をすると、「いろいろある」っていうことです。

古川 アハハハ! 「いろいろある」。

重田 「いろいろある」っていうことは、生物でも人間社会でもさまざまに表現されてます。だけど、睡眠文化論の肝はその「いろいろある」っていうことを肯定的に捉えること。そこにすごく価値を与えていることです。「いろいろある」、そして「いろいろあってよい」。それぞれの睡眠を肯定的に捉えるというのは、睡眠文化研究の肝要な部分です。本質とまで言うと言いすぎやけど。

古川 でもそれ、とても大切な態度という気がします。

重田 でも、そういう言い方って科学的じゃないんですね。

古川 フフフ……たしかに。

重田 「量的に示しなさい」とかね。「数値で示せ!」とか。「そういうのは相対的でしょう」って、必ず突っ込まれるんだけど。

絶対主義vs相対主義から離れて

重田 文化相対主義ってご存知ですか? それぞれの民族や文化の価値観とか思想っていうものは相対的だっていう、半世紀以上まえから文化人類学の先達が唱え始めた考え方なんだけど、今はそれに対するさまざまな批判が出てきています。だけどやっぱり文化人類学の出発点は文化相対主義にあるんじゃないかと私は思ってます。たとえば、「人を殺すと悪いことや」っていう、これは普遍主義的な言い方じゃないですか。でも、世界には人を殺す文化ってありますよね?

古川 はい。

重田 あるいは近代国家も人を殺しますよね。死刑とか。だから「人が人を殺すということは絶対にダメなんだ」っていう基準はどうやって成立しているのか?って考えた時に、これは恣意的に人間が決めているんじゃないか。つまりそれは文化の領域だろうと言えなくもない。人が人を殺すことがなぜ悪いのかということを科学的に説明しようとすると、種の保存の法則で説明しようとしたりするわけです。生存価値を高めるという点では、同種のものを殺すのはその種にとってマイナスじゃないですか。

古川 うんうん。

重田 だから生物学的に殺すのはダメだという風に説明するんだけど、それにはすごく嘘があってですね。植物でも昆虫でも、バーッて数が増えていった時には共食いをしたりして全体としての種の生存を図るっていう、そういうメカニズムがあるわけですよ。そして、かつて人間もそういうことをしていたかもしれない。だから人殺しを否定する説明は科学的に出来るし、だけどそれも科学的に否定できてしまうという矛盾がある

古川 そういう、科学がまだちゃんと語り切れてない部分が、ひょっとしたら睡眠にもまだ残っている可能性がありますよね。

重田 うんうん。まだまだあると思います。

睡眠文化に一番近いのは「食文化」

古川 いちばん睡眠文化に近いもの、あるいは睡眠文化研究に先行するものがあるとしたら、それはやっぱり食文化に関するものだと思うんですね

重田 そのとおりですね。睡眠文化の研究のお手本というかね。睡眠文化研究は、ある意味で食文化研究のアナロジーなんですよ。食も本能じゃないですか。それが文化という後天的なものと相互作用しているという状況は、睡眠ととてもよく似ています。私たちは「本能の研究」と呼んでます。あともうひとつ近いものは、セックスなんですけど、これはちょっと学者的にはキワモノなので。もちろん、ちゃんと研究されている先生もおられますが。でも面白いことに、食もセックスも、文化として発達しているというか、文化的な多様性があることが知られていて、認められているじゃないですか。それは商売ネタにもなっているし。

古川 もはや巨大産業になっていますもんね。

重田 そう。産業になっている。でも睡眠はまだなんですよ。だから、食文化、性文化からのアナロジーをやると、睡眠文化の行く方向っていうのはだいたい想像ができる。

古川 そうですね。僕も人に理解をしてもらうのにいちばんいい説明は、食文化のたとえだと常々思っていますね。「なんで僕たちは栄養と関係ないものを食べてるんですか?」「一日三食食べる文化圏と、そうでない文化圏がありますよね?」って。

重田 アカデミックな研究分野の中の歴史を見ても面白いですよ。昔は食べ物に関する研究は栄養学だけで、食品の成分を分析するということが主流やったわけですけど、それが今やどこの大学でも食文化に関する講義があります。食文化研究を専門にしている先生もおられます。だけどそれも結構新しいんですよね。

古川 あ、それでもやっぱりまだ新しいんですか。

重田 うん。まあ、睡眠文化研究よりははるかに古いけども。でも、それも戦後のことだし。

古川 こと食事に関しては、栄養だけではない食の愉しみというのはアカデミックな世界に限らず、だいぶ一般の人にも理解されていると思うんです。国や文化によって食事の形が全然違う、食べ方とか量や時間も違う、とか。で、実はそれが睡眠にもあるんですよというのが、やはりまだ食に比べたら圧倒的に知られていないですよね。

重田 うん。知られてないですし、意識されてないですね。

睡眠の多様性は見えにくい

重田 なぜ睡眠だけが科学的普遍主義に強く寄り添って受け入れられているのか、理由はいろいろ考えられるんですけど、ひとつには「多様性」が見えにくいっていうことがまずありますよね。

古川 多様性が見えにくい、というと?

重田 寝ている間のことなのでね。ほとんどの人が「眠る」ということを行動として意識していない以上、寝る前に何をしているかということも当然、意識しないから。入眠調査をしない限りね。

古川 はい。

重田 それに、本能の領域に対するさまざまな文化的タブー意識ってあるじゃないですか。これは日本だけじゃないと思うけど。「食べる様子を人に見られるのは恥ずかしいことだ」っていうような感覚は世界的にありますよね。まして、眠りもね。寝室は閉鎖的な空間だし。「眠っている人になにかを語りかけたりしてはいけない」とか、そういうのは結構よくあって、本能の領域に属する人間の行動に文化的なタブーが非常に強く結びついている

古川 ああ、なるほど。

重田 そういうことが、食がオープンになったのと比べると睡眠が遅れているひとつの理由かもしれません。だから逆に言うと、可能性はあるわけですよ。特に日本は公共の場で眠るということに対して、文化的タブーが低い国ですから

古川 フフフ。そうですよね。

重田 だから、睡眠文化研究が日本で始まったというのも、訳なしとは言えないという。可能性は日本だからこそあるんですよ

古川 たしかに。人前で寝ることのハードルが低いですからね。

寝落ち問題をどう考えるか

古川 食事と睡眠がすごく似ているなと思う反面、でも一番違うとすれば、睡眠って「寝落ち」という言葉があるように、本人の意志を超えたところで強制的にシャットダウンされてしまうところがあるじゃないですか。

重田 うんうん。

古川 食事に関してはそこはないと思うんですね。

重田 まあ、無意識に食べている人はあんまりいないよね。

古川 ははは。そうですよね。ないわけではないと思いますが、かなり珍しいケースですよね。でも睡眠の場合は往々にしてそれがあるじゃないですか。むしろ誰しも経験したことがあるぐらい。そこが睡眠というものを特別視、というか神聖視させる原因なのかな、と思います。

重田 そうですね。それはおっしゃる通りだと思います。たぶん、意識・無意識の問題は、3つの本能の中で睡眠だけが特異的に持っている特徴ですね。

古川 「食欲」「性欲」「睡眠欲」という三大本能のうち、食欲と性欲はそれこそ自発的な「行動」として成立するものだと思うんですけど、睡眠だけは強制的に訪れてしまうというか、勝手にやってきてしまう。そういうところが特別なのかな、という気がするんですね。

重田 そうそう。「食」は食べる対象の食べ物がないといけないし、「性」は交わる相手がいないといけないけど、睡眠という本能だけはひとりですぐできちゃう

古川 ああ、そうか。たしかに。

重田 そこがほかのふたつの本能の特性としては違いますね。でも、ねえ。うーん……。それがなぜ睡眠文化の多様性に注目が集まらないのかっていう原因としては、ねえ。どうやって説明したらいいんでしょうかね?

古川 フフフ……う~ん。

重田 「違う」っていうことはわかるけど。

古川 うん。違うということはわかるんですけどね。

重田 うーん。

(後編に続きます)

renaissance01-line

あなたの入眠、大募集

入眠調査室では、あなたが眠る時にしている「ちょっと変わってるかもしれない儀式」を必要以上に細かく聞き取り調査していきます。「あなたの眠り方」「眠る直前に考えていること」「寝るときの服装や持ち物」など、できるだけ細かく具体的に書いて、応募フォームから送って下さい。調査員から調査依頼が届くかもしれません。よろしくお願いします。


SORO_logo_sub

応募フォームはこちらから


今までの入眠調査室
FILE09 睡眠を「文化」として捉えている人。(前編)
FILE特別編 みんなの入眠の儀式
FILE08 眠る前に妄想で物語を考えている人 赤木舞子さん(後編)
FILE08 眠る前に妄想で物語を考えている人 赤木舞子さん(前編)
FILE07 眠るの大好き派の人:小林大吾さん(後編)
FILE07 眠るの大好き派の人:小林大吾さん(前編)
FILE06 意識高い眠りの人:西山瞳さん(後編)
FILE06 意識高い眠りの人:西山瞳さん(前編)
FILE05 ギリギリまでなにかをしている人:伊賀大介さん 後編
FILE05 ギリギリまでなにかをしている人:伊賀大介さん 前編
FILE04 お気に入りの”説明”を聴きながら眠る人:君島久美さん 後編
FILE04 お気に入りの”説明”を聴きながら眠る人:君島久美さん 前編
FILE03 睡眠に対してドライな人 : ジェーン・スーさん
FILE02 一日10分しか寝てなかった人 : くぅさん 後編
FILE02 一日10分しか寝てなかった人 : くぅさん 前編
FILE01 一見、ちゃんとしてる人 : しまおまほさん 後編
FILE01 一見、ちゃんとしてる人 : しまおまほさん 前編

renaissance01-line

古川 耕
1973年生まれ。フリーライター、放送作家。「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」「ジェーン・スー 生活は踊る」(共にTBSラジオ)などの構成を担当。アニメーションやコミック、HIPHOP、文房具について執筆。年に一度のボールペン人気投票「OKB48選抜総選挙」主宰。人が眠りにつく過程を必要以上に細かく聞き取っていく「入眠調査」を密かな趣味とする。詩人でデザイナーの小林大吾と制作ユニット「四〇四号室」を主宰。
「四〇四号室」

ロゴ&イラストレーション:小林大吾

suichan-cmt-08
いろいろある。いい一言だ〜。

更新日:2018年4月16日 書いた人:古川耕

サイト内検索

サイトメニュー

特集お役立ち連載インタビューお知らせ